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かつて鳥取城(鳥取市)が築かれた久松山の山頂に、太平洋戦争末期に作られたいくつかの壕がある。本土決戦を見越して旧陸軍が進めた「チ号演習」と呼ばれる作戦で掘られた壕だが、存在すらほとんど知られていない。
 戦争末期、陸軍鳥取地区司令部は、全県民を動員した「チ号演習」という作戦を進めた。『鳥取県史』によると、チ号演習は本土決戦を見据え、日本海沿岸の山腹を中心に全県に塹壕や防空壕を作る計画で、終戦までに約560カ所が作られた。チ号の名称は「地(ち)」「壕(ごう)」が由来とも言われるが、明確なことは分からない。県史には落盤事故で4人が死亡、十数人が重軽傷を負い、未払いの賃金もあったとの記載もある。
 県立公文書館の西村芳将さんによると、久松山山頂の穴もチ号演習で掘られた壕で、日本海から上陸する米軍を監視するために作られた可能性があるという。チ号演習では、日本海側から上陸した米軍を迎え撃つことを想定し、地面を「コ」の字形に掘った狙撃陣地も作られた。久松山山頂の壕も同じ作りだが、山頂まで米軍が来ることは考えにくいため、西村さんは「山頂の壕は空や日本海を監視する目的だったのではないか」と推測する。
https://www.asahi.com/articles/ASM707KPKM70PUUB00S.html

https://news.foredooming.com/wp/wp-content/uploads/2019/08/unnamed-file-657-1024x576.jpghttps://news.foredooming.com/wp/wp-content/uploads/2019/08/unnamed-file-657-225x150.jpgtsutomu朝日新聞社かつて鳥取城(鳥取市)が築かれた久松山の山頂に、太平洋戦争末期に作られたいくつかの壕がある。本土決戦を見越して旧陸軍が進めた「チ号演習」と呼ばれる作戦で掘られた壕だが、存在すらほとんど知られていない。  戦争末期、陸軍鳥取地区司令部は、全県民を動員した「チ号演習」という作戦を進めた。『鳥取県史』によると、チ号演習は本土決戦を見据え、日本海沿岸の山腹を中心に全県に塹壕や防空壕を作る計画で、終戦までに約560カ所が作られた。チ号の名称は「地(ち)」「壕(ごう)」が由来とも言われるが、明確なことは分からない。県史には落盤事故で4人が死亡、十数人が重軽傷を負い、未払いの賃金もあったとの記載もある。  県立公文書館の西村芳将さんによると、久松山山頂の穴もチ号演習で掘られた壕で、日本海から上陸する米軍を監視するために作られた可能性があるという。チ号演習では、日本海側から上陸した米軍を迎え撃つことを想定し、地面を「コ」の字形に掘った狙撃陣地も作られた。久松山山頂の壕も同じ作りだが、山頂まで米軍が来ることは考えにくいため、西村さんは「山頂の壕は空や日本海を監視する目的だったのではないか」と推測する。 https://www.asahi.com/articles/ASM707KPKM70PUUB00S.htmlニュース動画をコンテンツごとにわかりやすくまとめた国内最大級のサイトです。